Nov 01, 2009

使い方は様々なコピー用紙

コピー用紙を印刷して便箋にあり、折り紙などもある。子供たちは、ぬりえ無料サイトで何を印刷できない裏にしたり、お絵かきしたり、文字を印刷する以外に、コピー用紙は、さまざまな用途がある。服を作る時、型紙の線をなぞる場合にも丁度いい透明の状態で用紙を一緒に利用することができます。下記のものをドトスヌンエちょうどいい厚さのものが多い。
家には小さなコピー機があるので、そのコピー機で使用するコピー用紙は家のすぐ近くにあります100円ショップで購入することが比較的多くなっています。 100円ショップで販売されているコピー紙はかなりの枚数が入っているので家庭で使用するには、非常に安い価格で便利に利用できます。
 「漬物をいつも買っています。何かできることはありませんか」―。横浜からのそんな短い見舞いの電話が、東日本大震災の被災地・岩手県花巻市の漬物業者を勇気づけている。被害は小さかったものの、観光客が途絶えるなど経済的打撃は大きい。そのさなかに感じた、ささやかだが確かな神奈川との絆。「元気を運んでほしい」と岩手訪問を呼び掛けるこの業者は、友好都市の平塚市で毎年開かれる物産展の常連でもある。「いずれ元気な姿を見せたい」と神奈川再訪を待ちわびている。

 漬物業者は、協同農産(花巻市石鳥谷町上口)。家族のほか従業員は5人ほどで、大根をこうじで漬け込んだ「べったら漬け」などを生産している。

 花巻は震災で震度6弱を観測。人的、建物被害は少なかったが、広範囲で停電や断水に見舞われた。断水を免れた同社は震災から4日後、電気が復旧するとすぐ操業を再開した。だがガソリン不足で配送用トラックが動かせず、遠方への出荷はできなかった。

 役員の藤根靖子さん(53)が、事務所で電話を受けたのは、ようやくガソリンの供給が安定してきた4月上旬のこと。8月より貸し会議室に感謝横浜在住という30〜40代の女性からで、夕食の支度の途中、いつもスーパーで購入している漬物の製造元を見ると被災地だったことに驚き、慌てて電話に手を伸ばしたらしい。

 藤根さんが内陸部で被害が小さく、既に仕事を始めていることなどを話すと、名前を聞く間もなく電話は切れた。首都圏の消費者と直接交流する機会はほとんどない藤根さんにとって、「心配するだけでなく、『何かできることは』という気遣いがうれしかった」。名前も分からぬ消費者との小さな絆に、従業員とともに胸を熱くした。

 花巻市は、平塚市の友好都市。同市では毎年、花巻物産展を開催しており、毎回参加する協同農産は今年2月にも出店している。あらためて神奈川との縁を感じたという藤根さん。観光客が激減している中、「被災地は力強く立ち上がろうとしている。ぜひ東北へ足を運び、東北の産品に目を向けて」と呼び掛けるとともに、「平塚での物産展にも出店し、元気な姿を見せたい」と意欲を見せている。

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 ◇「阪神」での体験基に
 中区上幟町の県立美術館で8日、越智裕二郎館長(61)が「震災から立ち上がった美術館〜兵庫県立美術館の場合」をテーマに講演した。4月に就任する前は兵庫県立美術館(神戸市)の参与だった越智館長は、美術館の防災対策や災害時に備えた美術館同士の連携の必要性を訴えた。【樋口岳大】
 越智館長は神戸市出身。95年の阪神大震災発生時には静岡県立美術館に勤務しており、自家用車で28時間かけて神戸市に自宅に戻った。
 この日は、阪神大震災直後に駆けつけた神戸市立博物館などで展示品が散乱したり、窓ガラスが割れたりした写真を紹介。震災後、「心の傷をアートで癒そう」と、復興住宅などが建設されたHAT神戸(神戸東部新都心)の中核施設として、兵庫県立美術館が建てられた経緯なども説明した。
 また、阪神大震災で被災した美術館や博物館が、文化財の修復や保存などで他の美術館から支援を受けた経緯を踏まえ、「災害に備え、館同士がどうやって連携していくかが重要だ」と強調した。

5月9日朝刊

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 東日本大震災のことが頭から離れず、大型連休を利用し母が1人で守る熊本の実家に帰省した。家具の転倒防止や防犯機器の点検、緊急時の連絡先、保険証書などを確かめてきた。母は私に庭の掃除、押し入れの整理、買い物も命じた。間もなく50歳になる私だが、母にとって私が息子であることに変わりはなく、あごで使われた。一週間の異業種交流会が勢ぞろい!
 自家用車で4日、熊本へ。高速道で福岡を過ぎると、前方に陸上自衛隊のトラックが数台。うち1台の荷台に隊員数人が座り、車体に「災害派遣」と幕が張られていた。東北の被災地で任務を終え、九州に帰ってきたのか。多くの車が追い抜く際、次々と隊員に手を振る。すると隊員たちも笑顔で手を振って応えていた。自衛隊に対する国民の気持ちが表れていた。私は窓を開け「お疲れさま」と叫び、妻と娘2人も手を振った。
 実家に着くと、大手不動産会社営業マンの名刺があった。父が死に、この家で母が1人で暮らしていることを知っていて「家を売りませんか」と訪ねてきたという。我が家の土地は、父が先祖代々農家の本家から田んぼを少し分けてもらっただけ。そこにマンションを建てたいらしい。田畑しかなかった実家周辺に複数の大型複合商業施設とバイパスができ、帰省する度に街の様子が変貌。昔からの商店街は廃れた。下関と同じ。でも下関と同様、古里のレンゲは昔と変わらず鮮やかな赤色で、ホッとした。
 墓参りでは、誰も墓参した跡がない墓が幾つもあった。母や私、妻が死んだ後「娘たちは先祖の供養をどうするかな」と脳裏をよぎった。大震災で家族や家、お墓を失った被災者の皆さんを思えば、私の心配はささいなことか。家や墓の管理を心配する世代になってしまったが、先祖がいたからこそ私が生まれ、縁あって下関で仕事をしている。愛知の医療保険をもっと知りたい方へ墓前で手を合わせ、改めて先祖に感謝した。<下関・三嶋祐一郎>
〔下関版〕

5月9日朝刊

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